海路から神に参る

紀伊半島

賀田港  で神社に参る

賀田港は熊野灘の岩山の間を縫って進んだ奥にある静かな湾にある。
曽根が古くからの地名である。曽根は縄文、弥生の遺跡も出土する古代から開けた土地である。

九木から賀田(かた)港に移動。
賀田港尾鷲シーサイドビューという宿のポンツーンに今舫い終わったところ、10時半。
宮崎さんにもらった肴を先ず、煮たり焼いたり、新鮮な内に処理する。昼食。
2時ごろ賀田を探訪。
宿の地続きといって良いほどのところに飛鳥神社がある。
県の天然記念物に指定されている樹叢に囲まれいる。
海に突き出た台地に祀られている。
直ぐそばに縄文時代の遺跡もありこの地が太古から人々が生活し文化を育んできたことが解る。
賀田とこの地を呼んでいるが正確な町名としては曽根である。
宮崎さんもそこは賀田ではなく曽根だと言っていた。
熊野古道が宿から100mぐらいのところを通っている。
なんと西行がかって熊野三山及び伊勢神宮にいたる過程でこの熊野古道をとおり曽根から船に乗っているのだ。
曽根で西行が詠んだ歌が山家集に収められている。
曽根から三木里という少し西にある港に船で移動し三木里から山越えではなく船で錦浦に向かっている。
2時間ほど曽根を散策する。
川をわたり賀田駅にいってみると調度三木里方面への電車が間もなく来るのと、1時間半後に戻れる電車があったので三木里へ移動。
電車は3時間に1本ぐらい。
三木里は太平洋に真っ直ぐ面したこの地には珍しい広く白い砂浜の海岸である。
港は川を200mぐらい遡ったところにごくごく小さく囲われ船も小さく少ない。
900年ほど昔、西行は何故曽根から三木里へ寄ったのだろう。
今も町としては大きいので当時も港の便は悪いが町として栄えていたのか。
三木里を1時間半ほど散策。宿に6時ごろ帰る。

 飛鳥神社本殿  拝殿
 飛鳥神社の森遠景  巨木
 巨木  神社から見る朝日

東紀州 ホットネットによると、

飛鳥神社 尾鷲市 

1000年の歴史を持つ神社で、神社内の樹木は貴重な存在です。
飛鳥神社は江戸あすか期まで「阿須賀大明神」と呼ばれ、新宮の阿須賀神社の末社でした。
寛永15年(1638)の棟札に「此宮仁無年歴代々校見来者七百余古宮也」とあって、通算すると1000年以上の神社です。


境内の樹木も1000年以上と推定されるものが多い。
特に大樹は「楠木」で大人8人が手をつないでやっとの周囲14mが1本、9mが3本もあり、また「すぎ」は周囲7mが3本、5mが1本あります。


この境内の樹相は亜熱帯性と暖地性の樹木が多く、おがたまのき・ばくちのき・たぶのき・ほるとのき・むくろじ・くろがねもち・ばりばりのき・やまもがし・みみずばい等が楠・杉・樫類と共に高い喬木相を形成しています。
樫類も多く、いちいがし・いぬがし・うらじろがし・あらかし等があり、また「しまくろき」は一名はませんだんとも呼ばれますが、この飛鳥神社が北限となっているので、貴重な存在です。