海路から神に参る

沖縄県 久米島

久米島  で神社に参る
2006.11.25

久米島は那覇の西方約100キロに位置する。面積は広く沖縄では5番目に大きな島である。
人口は約9400人、3900世帯である。
縄文時代の遺跡もあり古から人が生活していた。
王朝の時代には天然の良港である兼城港を主に、琉球中国との交易の中継点として栄えた。

君南風殿内:
ちんべーどぅんちと読む。
字西銘にある国指定重要文化財上江洲家住宅を訪れた後、周りの神域を辿る内、
たまたま行き会った主婦に拝所を訪ねるとチンベーがあると教えてくれた。
そこが久米島では最も主たる拝所であった。
君南風由来によれば神代の昔、姉妹神女3人がおり、
長女は弁の御嶽を住居とし、
次女と三女は久米島に渡って次女は東嶽、
三女は西嶽に住み、その後次女は八重山に渡り、おもと嶽を住居とした。
西嶽に住んだ三女が君南風(ちんべー)となった。とある。
弘治13年(1500)尚真王の代に君南風の計略により首里軍が大勝利を収めた時から、
君南風は久米島の最高神女として島内のノロや神女を統括し、島民の精神的支配者になった。
君南風殿内は歴代君南風の祭礼殿である。

兼城御嶽:
兼城港に船を入れ、チョット町を一周してきた時、港に隣接し、すぐ目に入った拝所である。背後の森が明らかに神域である。
教育委員会の資料によれば兼城御嶽は兼城ノロの拝所であると同時に、
琉球王国時代は兼城泊に寄港する唐船の航海安全の祈願所でもあった。
この御嶽は神聖な場所として字の人でも滅多に入った事が無く、原生林が手付かずの状態で残っているとある。

字西銘の神域:
字西銘には神域が多い。5分ぐらいのところにいくつもある。

 君南風殿内  拝殿内 上江洲家住宅  上江洲家住宅室内 
   
 上江洲御獄  新垣拝所  上江洲家住宅神棚   上江洲家住宅仏壇
       
 字西銘の拝所  字西銘の拝所で初めて神殿を見る 泰山石敢當  
   
上江洲御獄表示  新垣表示  西銘ノロ案内表示   
       


港直近、兼城地域の神域

 兼城御獄(カネグシクウタキ) 兼城御獄内部 兼城御獄背後の森 兼城御獄近くの井戸 
   
拝所チナバク        
       
兼城御獄表示 兼城御獄表示 拝所チナバク表示