海路から神に参る

紀伊半島

串本港  で神社に参る
          

2006.6.7(水)今、朝の5時45分。薄く雲がかかっているが久しぶりに晴れ。
風は殆どない。食事を終わったところ。

7時半ごろ太地を離岸。昨日までの予報では東の風であったが今日になって西の風に予報が変わる。
西は向かい風となる。湾の外に出てみると確かに西ではあるが2〜3mでは無いかと思われる微風。
真登り、メインのみ上げて機帆走。11時ごろに串本港着岸。もやいを固めて12時過ぎる。
本州最南端に来た。東京でいうと八丈島と同じ緯度となる。
早速、当地で美味しいと書いてあった五味という店に行きお造りを注文する。
お造りとは当地言葉だそうで刺身定食にあたる。なかなかの味であった。またおかみが感じのいい人で色々話す。
バックにはクラシックがかかっている。使われている食器や置いてある壷、陶器も趣味が感じられる。
クルージングの必須事項、風呂(温泉)、スーパー、コインランドリー等をチェック。
夜食は観光案内所紹介の魚屋がやってる店、くしもとに行く。お勧めではない。
岸壁の直ぐそばにある本格的船具屋さんのお奥さんのお勧めは寿司は「勘八」食事は「静の門」オオクワの先の右側にある。
昼食の時、入ろうとしたら調度昼は休みの日、覗いた感じでは気さくではあるが本格的といったなかなか良い感じであった。
ホテル浦島で修行したか料理長だったかの人が主人。
食事の後、当地に何年か前、開始された温泉サンゴの湯に行く。
心配していたとおりどこかを真似した安っぽいスパ施設であった。
脱衣場は冷房をかけぱなし、扇風機を最大速度で回しぱなし、そとの方がズット涼しく気持ちが良い。
湯量も豊富で温泉そのものは良いのに、のんびりした感じも無く、素朴さも無く、串本の歴史や文化がにじみ出ると言った配慮も無く、残念であった。

勝浦ではインターネット接続の状況が悪くテキストのみのアップであった。
太地ではさらに状況が悪くコネクションカードでは接続できず、DOCOMOの携帯でダイアルアップしテキストのみアップする。
電話でボーダフォンに問合せたところ勝浦、太地だけでなく串本も悪いとの回答であった。これはマズイ。
辺鄙な使いたいところで使えないと意味が無い。DOCOMOのカードを追加で申込むことを真剣に考える。
ドコモの店があったので寄って説明を受け資料をもらってくる。
ところが、今コネクションカードを立上げてみると、ナント3本のアンテナで普通に繋がる。
ボーダフォンもいい加減だね。ウイルスバスターの更新、WIN UPDATEを今終わる。

朝は少し寒く厚い雲であったが、今7時半、薄日が差し暑い。予報では串本の最高気温23度と言っていたが今すでに25度。

先ず、串本の主たる神社、潮崎本之宮神社に参る。
住宅地を行くと森が見えすぐそこと解る。住宅に囲まれているので広くはないが静か。
手伝いらしきおじいさんが掃除をしているだけで社務所もしまっておりだれもいない。
右手に神木、柏槙の巨木がある。樹齢1200年。山形、秋田に多い木であるが日本一の柏槙ではないかと説明がある。
白河天皇がこの柏槙をめでたと説明がある。歴史ある神社である。
御綱柏(ミツナカシワ)の木(マルバチシャノ木)

次に本州最南端、潮岬を目指す。バスの時間を調べる。
土地の人は親切。
大工仕事中の人に時間を聞くと梯子をわざわざ降りてきて、一旦家に入り、携帯を見ながら出てきて時間を教えてくれる。
バスを待つが行ってしまったのか来ない。
どうしようかと迷っていると通りかかった人がなにかお探しですかと声をかけてくれる。
そこへバスが来る。待ってとバスに合図してくれる。
潮岬灯台前で降りる。灯台は日本で唯一石作りとのことで周りも整備し美しい。
灯台の直ぐ横にだれも入って行かないが潮岬神社がある。
灯台に登った際、森の中に社が見える。歴史と神域を思わせるたたずまい。
人はだれもいない。参道右手にほんの小さな池がある。仏教の影響である。
そういえば、紀伊半島を西に旅して来たのであるが神社は全て赤かったが串本で始めて、赤く塗装はしてない神社を見る。
文化の別れ目か。今でも辺鄙で人もあまり行かないところであるが歴史ある神社である。
平安時代、ここまで来て、花山天皇や白河天皇がお参りしている。
花山天皇御製 ココニマス カミニタムケノ ミテグラナレヤ 潮ノ岬に寄スル白波 
白河天皇 アナウレシ 難波ノ宮ノコト問ワン 潮ノ岬ノ御綱柏(ミツナカシワ)ニ。
御綱柏(ミツナカシワ)とは木の名前で、古事記、日本書紀に宮中酒宴の為に潮岬に御綱柏を取りに行くと記載あり。
この木(マルバチシャノ木)は現在も神社北方の海岸洞窟周辺等に自生していると説明あり。
あと岬の先端まで海を見下ろしながら歩いて行く。

2006.6.9(金)今、朝の7時。昨日夕方から北東の風が強い。
雨も降り続き、今は止んでいる。夜中から風が強くなる。
12時ごろ起き出して雨の中、北側の岸壁から北東の長い増しもやいをする。
夜中中ゆれ激しい。朝、5時ごろゆれが激しく、もやいを締めなおす。
少し風が落ちたので陸にあがってみる。歩きにくいほどの風。ケッチアンカーを取ったのが大正解であった。
前日の岸壁をフェンダーがこするがうるさいのでその対策程度に思って設置したケッチアンカーであったが、
北東の強風で岸壁に船が寄せられるのを防ぐのに、最も重要な機能を果たしてくれた。
四国沖を低気圧がとおり今までで最大の5mの波の予想であったが、今回のポイントは北東の風ということにある。
この岸壁はケッチアンカーなしに横付けすべきではない。
昼過ぎに風が落ち、ダンダン静かになる。
昼前に和菓子の儀平菓子店へ行く。当地で100年の歴史があり老舗のようなので適当に見繕って東京に送る。
まだ小雨が時々ぱらつく。

2006.6.10(土)
水が汚いので延期していたスクリューの点検をやってしまう。
もぐって見るが異常無し。釣り糸の残りかすが少し残っていたのでロープ切で削除。水はさして冷たくない。

まだ行っていない無量寺に行こうとすると雨が降ってくる。
小雨なので傘を差して出かける。大変な寺があった。
なんでこんなところにとは言わなかったが、どうしてこんな名品がここにあるんですかと聞いた。
禅宗の寺、無量寺は元、高富の海中公園のある場所近くにあったが、
1600年?ごろの地震で崩壊し、串本の今の場所に立替られることとなった。
其の時の住職と円山応挙が京都で親しかった。
新しい寺の為、応挙は床の間その他の襖絵を描く。弟子の芦雪に持たせて串本に向かわせた。
芦雪は新築の本堂の向かって右に龍、左に虎の巨大な襖絵を描いた。
其の実物の絵が見学者に見やすい様、本堂、床の間そのままを再現し、立ったまま回遊しながら見られる美術館として新たに施設を作っている。
ここは収蔵庫と言っている。ただ一人の見学者である私の為に重い扉をあけて女性担当者(住職の娘さん?)が案内してくれた。
この収蔵庫は特別コーナーで寺の美術品と縄文時代の出土品等を展示公開するのは「応挙芦雪館」である。
応挙の絵が10点以上あるし、若冲の作品も何点もある。白隠その他著名な日本画家作品を多数所持展示している。
これらはどうしたのだろう画家から寄贈されたのだろうか、住職が収集したのだろうか。
江戸時代は地方でも豊かな文化が花開いていたのだ。
今はこのような貴重な財産もあまり尊敬されず、訪れる人も少ないようである。
現在建っている本堂もかなり大きな瓦葺の建物で古いものでは無いかと思うが特に説明板は無い。
あまり手入れに余裕が無いように見える。なお、応挙の作品は円熟した書きなれた作品と言った感じであり、芦雪の絵も名品とは評価しなかった。
ただこれだけの応挙の絵と芦雪の大作その他一流の作者の作品を一つの地方の寺が所持し公開していることは非常に素晴らしい。

串本の家なみ。
串本の港は水もきたなく漁業の不振から、なんとなく殺伐とした感じで、
人の表情も今まで見てきた熊野の人々の持つ純朴で丁寧な様子とはかなり違ったものがあった。
家々の感じも港の近くは同様であった。
無量寺のまわりを傘をさしながら歩いてみて串本の本来の町がここにあることが解った。
石で囲まれた大きな屋敷と見られる住まい。
入組んだ細い道。山から流れて来る小川等、歴史と落ち着きを感じさせる。串本に来た人は港だけでなく是非、このかっての住宅地を散策して欲しい。

2006.6.11(日)
大型スーパーに寄るとアンデルセンのバゲットを売っている。今これが一番食べたいと購入。
チーズと牛乳はあるのでコンビーフ、バター、ヨーグルトを仕入れる。
魚のところを覗くと私の好きなしったかがある。ラベルには「がんがら」と書いてある。こちらではこう言うのかな。
日本産のわかめも見つけたので買う。
真っ直ぐ帰って直ぐ、以上全てを食す。

 潮崎本之宮神社  本殿
 潮岬にある潮岬神社遠望  潮岬神社
 歌碑と御綱柏  御綱柏説明
 金毘羅社  串本港に係留
 無量寺  串本の懐かしい家並み

2007.10.22(月)
今回は先を急ぐので参拝は無し。