海路から神に参る

紀伊半島

太地港  で神社に参る
          
2006.6.5(月)
2時ごろ太地に向け出港。波が未だ高い。
1時間チョッとで湾内には入れたが着ける場所を探したり、船固めに時間を要し落ち着いたのは4時。いまこれを書いている。
湾内を一周し、奥の新しい岸壁があいていたので船から着けて良いかと聞いたところ工事中なのでダメ。
ここに着けろと其の船の反対側を指示してくれ、舫いもとってくれる。
もやいの調節等手伝ってくれる。その人の船は海上保安庁の船を小さくしたような船なのでこれは漁船ですかと聞くと、なんと捕鯨船。
船首にカバーのかかった大砲のような形をした砲が見える。
今でも捕鯨するんですかと聞くと明日にも出港するとのことであった。
そういう目で港を見るともう一艇、一回り大きい砲を備えた船があった。今でも港の沖で砲で鯨を取る漁があるのだ。さすが太地だ。
早速、太地を一周してくる。静かで清潔な美しい所だ。期待どおりでうれしい。
石で出来た地域で海が入りこんでおり、チョットむっとした熱気と自然の緑、岩肌等、式根島に似た感じがある。
人はゆったりして親切。トイレはみなすごく広く立派なものが何箇所かにある。洋式も備えきれいに掃除している。町全体がこせこせしていない。
捕鯨は衰退しているはずであるが、何か豊かさを感じさせる町である。
太地を一周する。漁協のスーパーで鯨の各種食べ物を買って、船に戻るやビールとともに直ぐ食べ始める。
鯨を食べたいように食べたいだけ食べ幸せである。
くじら。「花ゴンドウの骨ハギ」スライスしてそのまま食べる。「ミンク鯨の干物」焼くか炒めて食べる。
「ザトウ鯨 テッパ」白いさらした肉で酢味噌で食べる。

ここに来れば電波状況が良くなると勝手に決めたいたがここの方がもっと悪い。
完全に圏外であった。ボーダフォンに問合せたところ串本も圏外とのことこれはチョッとまずい。
ドコモのダイアルアップを再開する必要がある。

2006.6.6(火)
今、顔を洗って戻る。
5時半。うす曇り。ぼんやり朝日がわかる。少し寒い。
今日は観光と太地の歴史を訪ねて。9時ごろ船を出て1時ごろ帰ってきたので4時間歩いていたことになる。
先ず、遭難の碑や吉備真備が遣唐使から帰る際に太地に漂着したこと(千年以上前である)に因む碑をみながら半島先端の灯明台を目指す。
江戸時代にあった鯨油の灯台。江戸時代以前からある古式捕鯨の「山見台」鯨監視所である。
海沿いに遊歩道を散歩し梶取崎の灯台の先にある捕鯨狼煙場跡まで行き平見展望台まで足を伸ばす。
午後は鯨博物館で古式捕鯨の方法を学ぶ。はじめに網で取り囲んでからもりで差したのだ。4時ごろ戻る。

神社。
最も主なる神社は飛鳥神社。元禄時代に作られた社屋で、町の文化財指定となっている。
魚市場脇にある鯨の骨を門にした恵比寿神社。
元禄元年(1688)井原西鶴の「日本永代蔵」の「天狗は家名風車」と題する文中に、
西鶴が太地へ来た際、恵比寿の宮に立つ鯨の骨の大鳥居をみて驚いたことや鯨取り名人の事等が書かれている。
当時を想像して後に復元した鯨の骨の門がある。右手に見える曲がった柱の様に見えるのが鯨の巨大骨。

山見台のそばにある金毘羅神社と祠。
狼煙場跡に近くに諏訪神社。
小学校のそばの岩の崖に波切神社。
等おもな神社を全て回る。

 飛鳥神社  恵比寿神社
 飛鳥神社  波切神社
 金毘羅社  諏訪神社
 向こうに見えるのが捕鯨船  太地の湾内全貌